そば2002年の生産

 2001年の大晦日の年越しそばの大成功に気を良くして、2002年の輝かしいそば打ち生活がスタートしました。

・1月10日: 昨年11月、12月に続いて、某省生協売店でN県いい山市産の優良そば粉を仕入れた。
・1月20日、27日、2月11日、24日と、そばを打つ。ほぼ水加減が分かるようになった。
・2月24日の「そば打ち1周年記念日」: 浦安在住武□そば師を、夷隅に招いてそばの出来を見ていただいたところ、師は大変感心しておられた。
・3月3日:風太朗畑産のそば約4分の1を、磨き〜石臼製粉を行う。約1kgを得た。これは、3月17日(大安吉日)に行われる船橋山手支店開店お披露目を兼ねた初そば打ち大会に使用するものである。

・3月17日、船橋山手支店でのそば打ち大会:武□ソバ師、川崎から□藤指導員、二和□台からは井□電子政□推進員父子をはじめとするソバ愛好家10名(弱)を招いて、10時過ぎから同支店のパーティルーム(水道、電子レンジ、ガスコンロ、冷蔵庫など完備、20名収容可)を借り切って行った。同ルーム借り切りによる大会は、前々から計画していたが申込み者が多く延び延びとなっていたもので、今回ようやく初の開催が実現したのである。大会の内容としては、まず風太朗のソバ打ち実演を参加者での見学から始まった。しかし乾燥していたためか加水がうまくいかず少し難行した。難行しながらも「一九そば」と「二八そば」の2種類を打ち上げた(この様子は、井□推進員がビデオに撮影した。後日公開される)。参加者による試打も予定していたが、時間の関係で省略した。武□師は今回新たな試みとして「玉子焼き」を造った。そしてそのソバや玉子焼きを試食しながら論評を行い。最後に相談所船橋山手支店見学や全体の反省会を行うなどの後、盛会のうちに16時30分頃終了した。
・なお、今回都合で参加できなかった方のため、次の大会の場所と、日程を調整中
何しろいろいろあって最大限1ヶ月1回開催ですからね。

・4月14日、磨き〜石臼製粉=約1kgを得た。
・5月4,5,6日と、そば3連打。つなぎがやや多い方が、口当たりが滑らかで一般には評判良さそう。
残りの玄そばから推定すると、あと2kg=20食ぐらいで'01風太朗畑産のそば粉は終了することになる。
・5月18日、製粉1.1kg。翌19日そば打ち2連打。大変良く出来た。
・6月15日、常陸秋そば2リットル、1600円で購入。
・6月16日、石臼製粉。玄そば2.2kgから1.6kgのそば粉を得た。
・  〃   、そば打ち、「つなぎ」に中力粉を使ったら、ずいぶん打ち易かった。つなぎは中力粉が良さそう
・8月16日の午後、そばを播種する予定で、畑の準備を万端整えてきたが、当日の昼頃に俄の雷雨となり、延期。
・8月23日(金):播種。土日の雨が心配のため、相談所をお休みして播種。この日午後から雨、大正解。
・9月16日:開花しながら順調に生育中。

・10月1日:台風21号。神奈川〜千葉県北部をl通過。夷隅方面は特に強風(勝浦では観測史上最強の最大瞬間風速50.5mを記録)。このため、開花最盛期とも思われたそばは、全株倒伏の大被害。収穫が心配。
・11月3日、4日:自家産のそば収穫がまだなので待ちきれず、船橋のそば店からそば粉1kgを仕入れ、二八そば打ちを連打。うまく打てた。
・11月9日:そば刈り取り。既に霜が月初めから降りているので、すっかり枯れ上がっていた。このため、台風21号に耐えて、残った数少ない熟した実もさわっただけで落ちてしまい、刈り取り後は、脱穀後のそばの茎を見るような状態。一応、本店の作業場の軒下に干して置いたが、玄そば収量は0.75kgと播いた種(2リットル=1.1kg)よりも少ないという大凶作だった。霜が降りる前、つまり10月下旬には刈り取らないとダメなことがよく分かった。「e−山」産の玄ソバを仕入れるしかなさそう。
・そこで、12月27日:相談所からの帰路、京成立石にある「江戸東京そばの会」に寄り、常陸秋そばの粉と「丸抜き」を3kg仕入れる。
・そして晴れの大晦日、風太朗はこの1年間に磨いたそば打ちの技術を披露し、家族から日頃の顰蹙を挽回し、文字どおり年が越せたのです。
 「コネ」工程よりも「水回し」工程を丁寧にやるのが、うまく打つコツである。ということが分かってきた。

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