2001年そば生産

 2001年(2000年産そばで、ソバ打ちの練習を開始)

・ 2月10日、石臼完成。早速11日に試運転を兼ねて、玄そばの約半分を製粉(玄そば4.5kgから、そば粉約3kgが得られる見込み)。ついでに大豆を炒って黄粉も作ってみた。石臼製粉は大変面白い。その石臼は径1尺、上石厚5寸。青御影石製、左回し型。特価数万円。
 このほか、コネ鉢、蕎麦包丁、コマ板などの高級品を、合羽橋の専門道具店「鍔屋」で購入。

・2月24日:そば打ち大会
 横浜から谷岡の麿、川崎からは加藤鑑定士ほか、そして浦安市在住の武部ソバ師を夷隅に招いて行った。風太朗も「十割そば」打ちに挑戦。なかなか手つきがいいと、参加者からモッパラ評判だった。
 調子に乗って、翌25日と、更に3月に入って4、17、18、24,25日、そして4月1日と「二八そば」打ちを集中的に行った。自家産のそばを使い果たした.

3月22日、京成立石にある「江戸東京そばの会」から、「常陸秋そば」の「玄そば」数kgなどを仕入れた。このように集中的にソバ打ちをやったので水加減など、大分要領を得た。そして家族だけでなく親戚にも配り、その被害状況?をみたが、下痢などの被害はなかったらしい。
 その後、いよいよ供食範囲を近親者から、縄文会員へと拡大。とりあえず鈴木会長が、4月1日試食。大丈夫そうだった。ゴールデンウイーク中4月30日に「一九そば」を、2鉢打つ。だいぶ要領を得て、これもうまく打てた。

 今後、「ニ八そば」「一九そば」をマスターしてから「卵そば」、「トロロそば」へと発展させるが、究極は、その語感からして「一九そば」を風太朗の看板メニューとしたいと思う。そして、本2001年度は、多収良食味耐病性強健の優良品種「信州大そば」の種子を2リットル購入した。作付け面積を大幅に増やすことで予算が成立し、予算どおりの実行をと、各界から注目された。
 更に、遠くない将来構想として、2003年の特殊法人民営化に合わせ、ボクも、畑作だけでなく水田転作による、国策に沿った生産拡大を行うこと、そして、I町と F市の2店で蕎麦処開店も視野に入れている。ただし、ソバは多湿を嫌うので、この水田転作の成否が、今後の発展如何を左右することになる。
 なお、規模拡大に向けて、導入を検討していた足踏み脱穀機は、6月11日導入。「ゴタイテン記念号」という高性能型。
 これにより、そばの縄文式機械化一貫生産の体制が整った。そして、


 2001年の栽培

8月16日:優良品種「信州大そば」を約20m*7畝に播種
・8月29日に見に行ったところ、きれいに発芽していた。
・9月9日:除草と土寄せを行おうとしたが、ヒルガオが密生してしまい、除草すらやりきれなかった。
     ヒルガオは根が深いし蔓がそばにからまって、どうしようもない状態。
・9月16日:除草の残りをやる予定だったが、雨でダメ。開花始まっていた。
・9月30日:開花最盛期というところか(9.30撮影)

これで→(2000年産の写真も。)

・10月27日:約3分の1を刈り取る。まだ黒褐色化が65%程度と、刈り取りには早いが、ある程度作業を進めておく必要から、行ったもの。
11月4日刈り取り完了
 なお、薄まきのところは茎が太く勢いがあったが、厚播きのところは弱小でダメ。来年は薄播きをと。体験習得。刈った感じから、収量は昨年の2.5倍(4.5kg×2.5=11.25kgというところ? これを10a当たりに換算すると、
作付け面積、7列(1m)×20m=1.4aから、11.25/0.14=80kgと、まずまず。これから約70%のそば粉が得られるはずだから約8kg。1食当たり100gとして、80食分か?と思っていたが、11日に脱穀したところ約16リットル=約9kgと予想したより大分少なく、これでは60食分かとガッカリ。
 この減収は、刈り取り後、作業場の軒下に立てかけての乾燥中に、ネズミに5合?ぐらい食害されてしまったのが影響したかもしれない。またこれは、8月に行ったネズミ掃討作戦に対する報復攻撃なのかも?
 でも、今年新規導入した足踏み脱穀機による脱穀と、唐箕による調製作業は、大変面白かった。カメラを忘れてしまって、皆さんにその様子をお見せできないのが大変残念です。
11月13日:某省地下の生協売店に臨時開店したN県いい山市農産物展示即売で、いい山産の優良そば粉1kgを購入。更に12月6日に2kgを、そして1月10日にも500gを購入した。自前のそば粉は労力不足のため、まだ玄そばのまま。
12月31日:大晦日の年越しそばはいい山産のそば粉で打った。大変うまく打てたので、家族は皆で感心していた。ボクは得意満面鼻高々だった。



目次へ