上総国いすみ村の一般状況
2005年12月5日、旧夷隅村は、隣接する大原村岬村と合併していすみとなった。

1 全般的な話題・・・ (1)旧夷隅村の農業   (2) 村民体育祭    (3)国吉病院建て替え

        (4)初代村長    (5)村議選   (6) 県議選    (7)参議院選、(8)県知事選  (9)米の倭の自治区会  (10)眼の保養

2 風太朗集落関係・・・(1)話題の生物 白鳥  (2)ガス被害調査    (3)’04年の大洪水   (4)田園の火祭り                    


1 全般的な話題(主に旧夷隅村について)・・・・・他の2村はこれを参考に大原村岬村

(1)  夷隅村の農業
 「歴史と文化に彩れれた緑深き上総の里・・・と言われる旧夷隅村では、その深い緑の中で、米中心の農業生産が行われている。(96〜98年平均の農業粗生産額で、米=58%、生乳=18%、野菜=8%、鶏卵=7%など)←畜産は山の上、中で行われるので、平地は水田ばかり。米のウエイトの高さは、県下トップクラス。

 しかも、水田地帯のまっただ中にあるボク風太朗の集落では、米のウエイトが更に高く、推定で95%以上も。
そして、その米「国吉米」は、重粘土の水田で生産されるため、非常にスグレた食味です。

 その、極良食味の「国吉米」を中心とする農産物の直売などが、盛んに行われている。                 
   なお、最近の圃場整備は、作業能率向上のために1ha区画が多くなっているが、ボクの集落の圃場は20数年前に、30a区画で整備された。  
  
(2) 村民体育祭
 合併前の大行事として、2005年10月、夷隅村最後となる「第48回?村民体育祭」が、10月9日(予備日10日)に計画された。しかし、秋雨前線停滞で、当日予備日とも雨で結局中止。これで、一昨年昨年に続いて3年連続の中止となってしまった。
 このため、役員だけで、会場の村営グランドに設置した応援用看板をかたづけたりした後、残念会をシメヤカに行い、体育祭の全日程が終了した。・・・そして、合併後の新市では、それどころではないようで、体育祭そのものが廃止となった。老齢化で選手など参加者を集めが大変だったし、その辺をお天気が察したのかもしれない。今後は、何か別の参加しやすい行事を考えるのがいいと思う。

(3)  国吉病院建て替え
  地域医療の中核として大きな役割を担ってきた「国吉病院」は、1949年の開設以来幾多の施設整備や機能充実など改善を重ねてきた。しかし、老朽化が進んだことと、地域住民の老齢化に対応した医療水準の向上を図る必要などのために、建て替えが課題となっていた。そして、先立つものが少ない中でいろいろ検討したため、建設は当初の予定より大幅に遅れ、ようやく2007年3月28日、建て替え起工式が関係者多数参加して行われた。
・・・’08年10月完成→引っ越し→’09年春開院予定。建設地は現病院のすぐ北側。工費57億3千万円。・・・
      主な改善点
・延べ面積: 7,228→11,669u
・建物:地上4階地下1階→地上6階地下1階
・病床:98→144
・その他:人工透析も可能となる等。

医師不足:新病院には、内科医7人が必要なのに、最近の医療制度によって地域では医師の確保が難しいようで、
       太田村長さんは、医師の確保に全力を傾けている。

「いすみ医療センター」と名称を変更し、2009年2月1日開業。まずは、目出度し目出度し。

 


(4) 初代村長
・2005年12月5日: 新 いすみ村スタート。そして、
・12月25日に村長選挙が行われ、太田洋さんが初代村長に選ばれた。
 今後、公約に沿って、村民のために尽力されることを期待する。
 若くて元気だし、真面目に下々の話を聞こうという姿勢だし・・・・・・・・・・
 この調子で10数年がんばってくれれば、 この村もかなり良い方向へ進むような気がする。

2006年1月21日:大雪。1日中降り続き約10cm積もった。
・2月26日午後大雨洪水警報が出るほどの大雨 : 無被害で何より(上流の大多喜で77mmの雨に止まる)。・・・ただし、この地域の過去の洪水の例では、降り始めからの降水量が300mm近くなると、低地の水没や道路の不通などの被害が発生していること、今回は強い降水域は移動していたため、強雨の持続時間がそれ程長いとは考えられなかったことから、気象庁は、警報まで発表しなくても良かったのではないかと思う。
 なお、この警報を受けた市の防災放送が房総南部に「大雨洪水警報が発表されたので警戒を・・」、というような、大ざっぱな形式的な漠然とした呼びかけをしていた。しかし、これでは全然防災の役に立たない
 ・・・防災の効果を上げるには@あらかじめ洪水対策用のハザードマップを配付しておき、Aそれに基づいて、ドコドコの集落のどの辺では増水、洪水の恐れが、ドコソコでは土砂崩れの恐れがあるので、コレコレの行動をと、具体的に呼びかけること。そして、当然の事ながら、B該当の区長には警戒依頼と、独居老人などの災害弱者への対応などを電話するなりしなければダメだと、ボクは、家の中で独り言をブツブツ・・・・。

・4月22日村民対話集会:村長と村民が村政について話し合う、旧村の範囲ごとの集会。この日は旧 I村町が対象で、70〜80人参加。
 村長さんの話では、兎に角、やらなければならないことが多いのに先立つ物が無くて困る。中でも国吉病院の拡充建て替え(144床)が最重要課題である。しかし、病院は新築しても、それに見合う医師が確保できるか・・という問題もあるし。
 そして、村長さんの熱心さと誠実さが参加者に伝わったような雰囲気となった。これが、今後の村政にとって何よりの成果だと思う。
 何しろ、田舎切り捨ての御時世で、とにかく問題が多くて大変そう。

・そして4年後。2009年12月、無投票再選
 村が元気になってきているのが分かるし、村民の期待は増すばかり。

・更に2013年無投票三選
 人の話を素直に聞く人柄の良さ、積極さなどで激務をこなし、過労などが積もらないようにと心配になるほど。

・そして更に、2017年には無投票4選。その市政への姿勢の立派さには頭が下がるほど。・・・好戦的で弱者切り捨ての安倍某とは比べ物にならない。

(5)  村議選経過
2006年7月2日 恒例の天王祭(祭日は毎年7月第1日曜日)が、区民総出で行われた。
 この天王祭は、鳥居がある神社で行うのに、お坊さんの読経とは不思議なので少し調べてみた。 
・・・天王祭は、各地で牛頭(ゴズ)天王を祭神として7月15日を中心に行われていること。そして、その「牛頭天王」とは、天竺の祇園精舎の守護神で、疫病除けの仏教の神様であることが分かった。
 ということで、当地の天王様も、鳥居を立てた神社ではあるが、たぶん祭神は仏教の神様「牛頭天王」であることから、お坊さんによる読経が行われているのであろう。
 また、明治時代に、天王様の祭神を、牛頭天王からスサノオノミコトに代えた所も一部にあるようだし、これはつまり、明治の神仏分離とか、廃仏毀釈政策がもたらした混乱の結果ということになる。
 なお、このお祭りの祝賀会の際、合併特例村議の吉野勝己さんから、国保「国吉病院」建て替えについての報告があった。
 村では先立つ物が無い中で、周辺の関係村を交えて建設費削減を検討した結果、建物本体ではなく、付属設備を簡素化するなどして当初の80数億円から60数億円として、11月ごろ着工の運びとなった・・と。
 特に旧 I 村は過疎指定だったほどで、高齢化も進んでいることから、病院の充実は急務となっているもので、建て替えの計画が進んでいることは、結構なことである。またその際、11月12日に予定される村議選(定数26)への出馬を表明。前回ブービー賞の汚名を返上すべく、皆さんの支持を呼びかけていた。そして、
・7月17日:同君の村議選出馬の区内挨拶回り。・・・周囲から押されて嫌々出る人よりも、自らやると言う前向きな同君に、期待する声が多いし、周辺の集落からの出馬が少なそうで、やや楽観ムード。

・10月15日:7月ごろの予想では、立候補予定者が少なそうだったが、ここへ来てかなり増えたようで(立候補30数名/定数26)、安定少数戦から一転して乱打戦。・・・その後、30万円の供託金が戻らない心配のある泡沫候補が出馬を諦めて、立候補は35名になりそうとか。
 ・ 同君はかなりの固定票を有しているものの、多数乱打戦となると油断は禁物。
 ・ このため、区として全面的に応援し、上位(1桁台)当選を勝ち取るべく、この日、当区及び周辺3区の各種団体役員を中心とする吉野勝己後援会「勝友会」の結成が決まった。そして、

・10月22日:後援会「勝友会」の結成大会が、今後中心的な役割を担う会員20余名を集めて盛大に行われ、選挙戦へ万全の体制が整った。

・11月5日:村議選告示。立候補届者は34名。→出陣式は周辺の3集落を中心に約200名参加の盛況。・・・そして11日まで地域縁故を総動員しての宣伝活動を展開した。・・・宣伝カーへの選挙民の反応もずいぶん良く、安心して投票日を迎えた。

2006年11月12日:投票。→660票を獲得。(直前の票読みの約50%とは冷や汗)24位で辛勝。
   旧 夷隅村内からの立候補8名中4名落選という農村部に厳しい判決

 千町の庄として、縄文時代以来の文化と伝統を誇る純農村部の旧々千町村管内では村議不在となってしまった。この結果、合併前から言われていたデメリット→農村部でへのシワ寄せが進みかねない。・・・そうならないよう、今後我が吉野勝己君が、周辺農村部の期待を一身に担うことになった。
 そして、前村議会議長落選の波乱のほか、有力女性S候補や共産現職などの落選は、村にとって惜しい気がする。一方、79歳候補の当選は、高齢者の励みになることだろう。(この人は2年後、村議会議長となるなど、年齢を感じさせない活躍をする。)

・12月8日:吉野勝己後援会「勝友会」主催の当選祝賀会。会員数十名を集め盛大に行われた。
 なお、この日の臨時村議会において、同君が副議長に就任したこともあり、祝賀会は更に盛り上がった。

・その後、議員としてまずまずの活躍をしていたと思ったら、早いものでもう4年。

次の村議選は、2010年11月4日告示→14日投票で行われることになった。

・2010年9月25日:その村議選に向けて、後援会「勝友会」の総会が、会員の大多数が参加して開催され、
 この中で、同君の4年間の活動報告と、今後の力強い決意表明が行われた。そして、会員一同、上位当選のため団結して戦うことを誓い合った。
・2010年11月14日投票の村議選は、定数20のところ立候補予定者は現職中心の約23。少数激戦。
吉野勝己候補は、副議長経験だし、活発な議会活動で地域の発展に貢献してきた実績のため、当選確実との前評判だったのに、
まさかの落選。農村地域にとっての大打撃。この結果、市議の海寄りに集中が前回以上に進んでしまい、危惧された合併の弊害→農村部へのシワ寄せが、合併5年、2回の選挙で早くも現実のものとなる事態となった。

(6)  県議選
・2007年4月8日投票予定の県議選挙に向けて、いすみ村選挙区では、定数1に3名が立候補を表明、すでに各陣営とも本格的な運動を展開している。そのうちの1人の陣営では2月11日、「地球温暖化問題」講演会を開催したので、ボクも聴講した。
 この講演会では、伊藤和明さんが約1時間、温暖化対策の必要性とか緊急性の説明を行った。・・地球温暖化を防止し、人類絶滅期を先送りするという崇高な任務を帯びているボクは、大いに参考になった。
 
・そして、
・4月8日投票:山口氏が約1.1万票を獲得し3回目の当選。飯塚氏は約6.7千票、齋藤氏は約6.4千票であった。
 
(7)  参議院選挙
・2007年7月29日投票:積極的に農林水産政策の善政を進めてきた縄文会員のD本氏落選。・・・不運にも所属している某保守党の最近の悪政による批判をかぶった形となった(某省出身の現役2氏とも落選)。
 農林水産大臣の連続した不祥事に加え、今回D本氏らが去って農政通が手薄になり、特殊事情のある農林水産業の今後が、ますます憂慮される事態となった。 

(8) 県知事選挙
・現知事の任期満了引退に伴う選挙が、2009年3月29日投票で行われた。
 これには、現知事が、その後継者として、「いすみ鉄道社長」の吉田平さんを推し、民主党と、自民党の森法務大臣も「大変立派な人だから」と推薦。一方、自民党は前回落選しても知名度抜群のM候補か、女性S候補を自主投票するという変則的な選挙戦となった。ボクは、環境保全や地域活性化のため、吉田平さんにと、陰ながら応援したがダメ。タレントの軽薄M候補の当選にはガッカリ。
・2013年3月:再選。2017年:3選。

(9) 米の 倭の自治区会議事堂
・2009年7月7日:いすみ村の某福祉団体所属の数十人で押しかけ、
困った人を助けるのが区の役目だ、しっかりしろっ!と、声には出せず心の中だけで叫んできた。

・8月30日 総選挙:政権交代。

    期待されたのに・・・しかし、マニフェストの実行とかで、借金がますます増えそうな様相。そして、某省は、仕分け人とかに
  省そのものが、もはや役割を終わったような扱われ方をされて散々。

   せっかく政権交代したのに、その後、2011年の東日本大震災や消費税などの対応の悪さもあったが、・・・・・

・ 呆れたのは公約違反のヤンバダム工事再開。・・・あれほどハッキリ中止といってたのに。
  アーダコーダ得意の小田原評定が始まり、政治屋の飯の種にされて・・・・

(10) そのヤンバダム(2009年10月27日視察)    

   


・ 結局、2012年12月総選挙で民主党は大敗。わずか3年で自公政権に逆戻り。
 しかも、9条改憲を掲げ、強きを助け弱きをくじく反動手品師団が担うという、倭の将来にとって憂慮すべき事態となった。

・ 更に、2014年末の総選挙では、巧妙なアベノミックス手品により手品師団が圧勝。
 いよいよ、集団的自衛権だ改憲だ農協改革だTPPだとかの具体的な作業が進み始めた。
  そして、農業へのしわ寄せ・・・・他の物価は上がっているのに、手品師団の鼻息に恐れをなし、始まる前から米価は急落

・ この手品政治に大方は靡いてしまい、2015年の参議院選にも手品師団の勝ち。そして、

・ 問題が発覚し大批判の中で行われた、2017年10月総選挙でも、バラバラ野党を手品師団が圧倒、これ以上ないという大勝利。
庶民弱者には、これ以上ない厳しいどうしようもない状態となってしまった。

・ しかし、世の中とは良くできたもので、2018年3月、またまた手品師団のゴマカシ発覚。悪政を倒そうとの動き、成り行きに期待。


(11)上記(9)、(10)と同じ某福祉団体の視察の際の 眼の保養            

                    

             これぞ世界一!函館の夜景・・・・・・地球が丸く見えた?(2010.7.12)
※丸く見えるのは広角レンズによる歪み。実際丸く見えるのには、数十キロの高さとか人工衛星などが必要とか。
 

(12) 某福祉団体の眼の保養(その2) 


 
富士山と東京湾。
アクアラインも見え
る。


(2013.10.8)

 

 

大雪の大内宿(2015.1.25)


 

 風太朗集落島区の話題

(1)  話題の生物

  タヌキ氏(2002年): 時々タヌキが出たとか、車にはねられたという話は聞いていたが、身近でもありました。
 5月3日ボクが夜12時頃、船橋支店から I 村に来たところ、集落のすぐ横を走る広域農道で、交通事故死していたではありませんか。大切なお腹を轢かれたようでした。翌4日シャベルを持って行って、路肩の斜面に北に向け腹這いに手厚く?埋葬しました。このタヌキは4月28日夕方、ボクの家のすぐ横のU字溝から出てきて、しかも翌日には家の周りヨゴレタ足跡を残したあのタヌキ氏かも。U字溝を伝わって隠れるように移動していたらしい。それだけに、一層かわいそう。身体の大きさの割に小さく、かわいい寝顔でした。しっぽの横縞、おなかの毛が白いこと等から、このタヌキ氏の俗名は「アライグマ」ということになる。南無妙法蓮華経〜。南無妙法蓮華経〜。
 本物のタヌキ:2002年6月30日の夕方、ボクの夷隅の家の庭にタヌキが出ました。ちょうどボクが庭から家の中に入ろうとした時、家の後ろから出てきた。犬か猫かなと思ったら違うので、脅かさないように「ほらほら、ほら」と呼びかけたら、逃げようとしたのが立ち止まり、こちらを向いたので、更に呼びかけながら座ったら、向こうも座ってこちらをジッと見ていました。腹が黒くて、体が汚れたような暗灰色をしていて、しっぽは小さく縞もなかったので、今度は本物のタヌキです。写真を写そうと、カメラを取りに行って来たら、庭というか荒れ地から外へ出てしまった。・・・今後夕方には、カメラ+望遠+三脚などで待機し、いい写真を撮りたい。
・優良農家H氏は、(2003年):畑の作物が荒らされて困っていたため、ワナを仕掛けたところ8月3日の朝、そのオリにかかった。・・・縞のない小さい尻尾で、鼻も白線が無いことから、アナグマムジナ。この付近には、最近タヌキと似た、アナグマやハクビシンが増えているらしい。それにネズミ氏までも。
・’06年7月:トウモロコシ被害に業を煮やした隣のU家が、例のタヌキ用のワナを仕掛けたところ2日連続で2匹ずつ4匹の「アライグマ」がかかったという。・・・このように、野生動物の被害が増えている事は、野生動物が住みやすい環境になったのか、逆に住むところが無くなって、民家近くにまで出てくるようになっただけなのか。農作物の被害を考えると複雑な気持ちになる。

イノシシ君: 夷隅村の南部、山田〜大野方面では、イノシシ君が出没して農作物を荒らして困るというので、秋の収穫を前にした’06年8月下旬、鉄砲隊を総動員して、大規模なイノシシ狩りを行い、  日間に  頭をイノシシ鍋にしたらしい。20年ぐらい前までイノシシは、房総にはほとんどいなかったのに、山の荒廃などで随分増えたらしい。
 なお、隣の勝浦市では、サル退治の鉄砲が、人間を誤って撃ち殺して逃げたばかり。こういう野生動物への鉄砲攻撃は、大きな危険を伴うものだが、それにしても、人間を撃って逃げるとは、撃たれた人が何とも情けなく悲しい。

キジ雉は、旧夷隅村の村鳥です。’06年草ぼうぼうのボクの畑に巣を造ったようで楽しみにしていましたが、どこかへ行ってしまった。
 でも、雉は、 夷隅村に多数いるようで、そのうちに写真を撮りたいと思った。

 そして、2012年3月3日ボクの家に来て15分ほど滞在しました。・・・ようやくこの程度の写真が撮れました。 

 
飛び石づたいに、玄関へ 竹垣付近での後ろ姿  



・それとカラスが我が家の裏の杉の木に巣を造りました。卵があれば試食出来たのですが、無かったので巣を除去しました。自然の中のカラスらしく、巣にハンガーなどは使わず、総体天然の良材造りでありました。

スズメバチ:2007年7月29日、隣のおばさんが生け垣を整枝中にスズメバチに刺されました。生け垣の中に直径約20cmの大きな巣があってブンブン飛んでいて危ないので、ボクが殺虫剤などで駆除、巣を落としました。しかし、これは人間の都合で、ハチにとっては大迷惑かも?



 
巣を落とした状態、中には幼虫がウヨウヨ
殺虫剤をかけなければ食べられたのにと残念。
(2007.7.29)

 

白鳥:近くの「トンボの沼公園」には、冬になると’コハクチョウ’が来ます。
 2010年2月1日(曇り)。朝、暗いうちから出かけ、写真を撮って来ました。






 
 近くの人が、今日は少ないな〜と。
 でも20数羽が、時々ガア・・・・   
ガア・・  と言いながら
沼の中程に浮かんでいました。
 今冬は、最多71羽を数えたとか。


 
 日が出て明るくなると、羽ばたきや毛繕いなど
次第に動きが出てきて、



 
 次第に整列、そのうちに、
やや大きい声でガア!ガア!ガア!と
飛び立つ合図か、確認し合ったのかと
思う間もなく

 
一列に、一斉に飛び立ち  
(水面には、鏡のように写っている)





 
 沼を振り返ったり、周回することもなく
一気に、飛び去りました。
アレヨアレヨという間。
 (2010年2月1日、8時23分)
 ・・・夕方戻ってきて、朝また飛び立つそうです。・・・

 

(2) 天然ガス被害
2007年7月30日:水稲の ガス被害調査。近くにある天然ガス会社「日宝化学」が毎年行っている調査に、区の役員5人で立ち会った。被害圃場は約10。近年は面積、被害量とも減少している。
 なお、日宝化学は、この付近の地下に埋蔵されている天然ガスと、「ヨウ素」を多量に含む地下水を汲み上げて、天然ガスとヨウ素を生産する旧 I 町では最大級会社。雇用など地域との関係も大きい。
・・・ちなみに、世界のヨウ素生産量では、チリが世界の50%を占め、倭州40%。うち殆どが房総とか。・・・ということは房総人は、世界でも希なガスとヨウ素の上で暮らしていることになる。
 ・このため、当然の事ながらこの地域では、ガス被害のほか、地下水汲み上げによる地盤沈下問題も抱えている。
 30〜50年前(1955〜1965)に発生した数十センチの大地盤沈下は、子供の目にもハッキリ分かった。・・・水が流れなくなって、村は総出で、水路の再掘削や道路の嵩上げをしたり。各人はそれぞれ自宅や宅地を嵩上げしたりの大騒ぎ。我が家でも母屋を1,5尺以上を2回に分けて嵩上げ。皆さん自費で泣き寝入り。随分コボシテいていた。いろいろなシガラミで、やむを得なかったらしい。
 現在は、地下水汲み上げが数千mとかに深くなったため、地盤沈下が、局地的大沈下から広範囲平均的となって騒ぎが収まっているが、沈下は、まだ続いている。・・・このままで大丈夫かなあ。

(3) 2004年台風第22号による 大水害
 10月9日、房総北部を通過した台風22号の大雨による水害。夷隅川上流の勝浦、大多喜に降った雨が集まる中流の 夷隅村では、本流から支川に逆流して大水害となった。水没車のポンコツ化など物的被害はあったものの、人的被害が無かった事は、不幸中の幸いと言うべきかも。・・・10月7日〜9日にかけての総雨量は、大多喜357mm、勝浦338mm、鴨川361mmなど。
 なお、この年は、台風の倭本土上陸数が10個と、観測史上超最多を記録した。



 
水没した農道と水田、そして
流れ寄せられたゴミ群
(2004.10.9、間の谷から小池荻原方向を見たもの)
 

 

 
「権現堂川」の氾濫状況
(車が何台も潜った)
 
 

 

(4) 第1回 田園の火祭り(2007.12.16)
   我が集落「島区」では、本07年度の新たな行事として、島区の安全と発展を祈願する「田園の火祭り」を開催した。
  2007年が「偽」の一字に表されたように、最近のニュースを見ると、格差拡大で倭人の心が荒んでしまったのか、詐欺ゴマカシ、偽装や捏造、殺人事件など暗いニュースが多発しています。一体全体、この国はどうなってしまったのか思うほどです。
 幸いにも当「島区」は、平和が続いていますが、この平和が永遠に続くよう、そして最近増加している新区民と一緒に楽しみ、懇親を深め、家内安全、区の発展を祈願する行事をとして、計画。区の役員5人で約3ヶ月間準備した。

 区民に配付した案内ビラ

 そして、当日は多少風があったものの、ほぼ好天にも恵まれ、区民を中心に100数十人の参加。特に第1回という何の実績もないこのお祭りに
村長さんも参加、終了まで楽しまれて大盛況。
皆さんで、良かった!良かった!と、称え合いました。

(その時の写真をどうぞ。・・・もっと迫力があったのですがね)

 
   
 

 

(5)第2回「田園の火祭り」・・・2008年

・ 昨年第1回の反省から、態勢を一新、村民提案の補助事業として、区行事ではなく、「地域交流プロジェクトINアイランド」という  
組織(委員14人)を作って、更に盛大に行うことになり、
10月〜会場の草刈りをしたり、竹で祈願札を作ったり、消防など関係機関に申請したりと、着々と準備が進められた。

・ 日時:12月14日(日)10時〜
 しかし、当日は本降りの冷たい雨となり、予定していた火祭りを中止。規模を島区内に縮小。時間も15時からに遅らせて行った。
ちょうど15時頃には雨も上がったので、区民も続々とつめかけて、数十人が参加のまずまずの賑やさとなった。
 ボクは、昨年に続いて「焼き藷」を担当、寒さの中だったので、温かい焼き藷は、皆さんに好評だった。

・ 翌15日の後かたづけは、雨後の汚れ落としや、テントや紅白幕を乾かす必要があるのに、月曜日で人数が少なそうで心配したが、
その日は素晴らしい好天。区民の多数の協力で、無事スムースに片づけが終了した。良かった良かった!

(6)第3回「田園の火祭り」・・・2009年

・2009年12月13日:2日前の大雨で、会場はヌカッテいたが、暖かで風も弱く、この時期にしては穏やかなお祭り日和。
    いすみ鉄道応援団をはじめ各種地域団体の出店もあって、年々盛大になっている。
 11月に再選された太田村長さんも来て、更に盛り上がった。

(7)第4回「田園の火祭り」・・・・2010年・・・(最終回
・12月12日:好天微風の下、開催された。しかし、村議選地域代表の落選直後でもあり、やや盛り上がりに欠けた。



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